特集:書店、再び共有地
現代に生きる「共有地」たりうる本屋さんを渾身取材!!
Seesaw Books(北海道・札幌)
ブックカフェ「フルハウス」(福島・南相馬)
栞日(長野・松本)
Antenna Books & Cafe ココシバ(埼玉・川口)
ポルベニールブックストア(神奈川・鎌倉)
ブックハウスひびうた(三重・津)
毎日食堂/MAINICHI STORE(兵庫・南あわじ)
ウィー東城店(広島・庄原)
汽水空港(鳥取・東伯)
うなぎBOOKS 旧塚本邸(福岡・八女)
◎特集対談
平川克美×辻山良雄
「小商いをはじめたら、共有地ができてしまった―――喫茶店店主と書店店主が語る」
*特集に寄せて
社会を安定的に持続させてゆくためには、社会の片隅にでもいいから、社会的共有資本としての共有地、誰のものでもないが、誰もが立ち入り耕すことのできる共有地があると、わたしたちの生活はずいぶん風通しの良いものになるのではないか――平川克美『共有地をつくる』
この一文のあと平川さんは、「国家のものでもないし、『私』のものでもない」、「自分一人で生きてゆくのではなく、かといって誰かにもたれかかって生きているわけでもない場所」と共有地を定義づけます。たとえば、喫茶店、銭湯、居酒屋、縁側など。
これを読んだときすぐに、間違いなく書店もそうだ、と直感しました。なぜなら、私たち(ミシマ社)は書店さんと日々、直取引をおこなうなかで、書店という場が読者、のみならず地域の人たちにとってどんどん「共有地化」しているのを感じていたからです。
いえ、なにも急に起こった現象ではありません。むしろ逆で、かつてはほとんどすべての書店がそうだった。そして、一部はそうでなくなっていた。が、いま再び共有地となっている本屋さんが次々と現れている。同時にその姿はかつてと同じではない。つまり、強すぎる地縁や共同体意識などから解放されてある。
かつてあった、ということは今もできるという裏返し。
かつて、と違うかたちなのは、現代社会が希求するかたちへ変形したということ。
現代の共有地はこうしたふたつの希望を抱えて現出してきつつあるのではないでしょうか。
本特集では、現代に生きる共有地たりうる本屋さんを、普段よりお付き合いさせていただいているミシマ社の営業メンバーたちが取材しました。
――本誌編集長 三島邦弘
目次
益田ミリ 「いつもの今日」(漫画)
特集:書店、再び共有地
Seesaw Books「行き場を失った人のシェルターに」
ブックカフェ「フルハウス」「ただそこに居ることができる”魂の避難場所”」
栞日「自分のスタバをつくりたかった!?」
Antenna Books&Cafeココシバ「移民の町で」
ポルベニールブックストア「お客さんが『雑談』をする!?」
平川克美×辻山良雄「小商いをはじめたら、共有地ができてしまった―――喫茶店店主と書店店主が語る」(対談)
ブックハウスひびうた「生きづらさを感じる人の居場所として」
毎日食堂/MAINICHI STORE「想像を馳せる買い物」
ウィー東城店「お客さんの要望を聞くうちに『よろず屋』」
汽水空港「『食える公園』という名の畑がある」
うなぎBOOKS 旧塚本邸「ニュルニュルと入り込む」
三島邦弘「おっぱいとトラクター」(ブックレビュー)
津村記久子「西京極の共有地」(エッセイ)
三好愛「でてきたよ」(絵と言葉)
中村明珍「何様ランド―――共有地in周防大島」(エッセイ)
尾崎世界観「会うと」(小説)
内田健太郎「マルシェのない生活」(エッセイ)
高橋久美子/渡邉麻里子
「怒られの二人―――それでも今、行動する理由」(対談)
滝口悠生「勝手と昼寝」(小説)
齋藤陽道「溶けて在る」(フォトエッセイ)
斉藤倫「ゆっくりながれぼし」(児童文学)
前田エマ「高校受験」(エッセイ)
土井善晴「おいしいもの」(随筆)
榎本俊二「ギャグマンガ家山陰移住ストーリーPART8」(漫画)
藤原辰史「シェアの痛みから考える」(論考)
松村圭一郎「『共有地の悲劇』が起きない理由」(論考)
作・益田ミリ/絵・平澤一平「モギーさん郵便です」(漫画)
松嶋健「基盤的コミュニズムをめぐる断章―――〈縁〉と多孔性」(論考)
寄藤文平「位置の話。未来の描き方 その3」(絵と言葉)
編集後記